2011/03/01
美術同人誌「四月と十月」と牧野伊三夫と
画家 牧野伊三夫さん
大洋印刷 営業部 松本将次(四月と十月 同人)、大槻浩靖
牧野伊三夫さん、成合明子さんとともに、うなぎ屋の前で

大洋印刷は2003年より、画家や写真家たちが手づくりで発行をつづける美術同人誌「四月と十月」を製作させていただいている。表紙からすべて全頁モノクロの小規模な刊行物ではあるが、内容が濃く評価の高い本で、毎号どんな誌面になるのか楽しみにしている。 2年前からは担当でもある弊社の松本も同人として加わることになった。
当ブログの主旨である「本気でモノづくりに向き合うっておもしろい!」を最も伝えられる方なのではと、この本の編集・発行人である画家の牧野伊三夫さんにお話を伺ってみた。

「四月と十月」はアトリエとアトリエをつなぐ本

昨年(2010年)11月下旬、牧野さんとJR中央線中野駅で待ち合わせ。
この雑誌で時々記事の取材や執筆をしている成合明子さんにも来ていただいた。成合さんは昨年休刊した「銀花」や女性誌などで活躍するフリーランスのライター。
牧野さんは待ち合わせに遅刻しそうになったらしく、仕事場から急いで来るために自転車であらわれた。その様子に、初見で少し硬くなっていたブログスタッフも、心がほぐれるような気がした。
私たちは駅前を歩き、牧野さんおすすめのうなぎ屋で一杯やりながらの取材となる。縄のれんの、実によい風情の店。これからの数時間に、不安を抱えながらも期待が膨らむ。

「まずはビールと、うなぎの串焼。」
牧野さん自ら注文いただき、ほどなくして瓶ビールが運ばれる。わさわさとコップに注ぎ合い乾杯。このまま大いに飲みたいところだが、さっそく本題にはいる。

大槻:なぜ「四月と十月」をはじめたのですか。

牧野:いくつか理由はあるのですが……。まぁ、簡単に言ってしまえば、一人でアトリエにこもっているのが寂しくなったから、ということですかね……。
画家はアトリエに一人こもって仕事をするじゃないですか。たとえば描く途中で迷って筆を止める。どういう方向に描き進めていったらよいのかわからなくなる。「これ、どう思う?」と誰かに相談したいと思っても、部屋の中には誰もいない。いつも一人。
そうすると、だんだん独り言なんかも増えてくる。真冬になったりすると「なんか、今日寒いよ。」「あ〜、寒いな。」とかつぶやいてしまう。でも誰も返事をしてくれないので、「いや寒いはずだ。」と寒さをかみしめてみたり。絵を描くということ自体、孤独な作業であるわけですが、ずっとつづけているとそういうのをなんだか寂しいと思うようになった。

—— まず誰に声を掛けたんですか

創刊当時、国分寺駅のそばに家とアトリエがあったんですが、駅前に「ほんやら洞」という飲み屋があったんです。武蔵野美術大学もそばにあって、画学生やらもよく来ていた。とにかく、絵やら音楽やらが好きな人たちが集まって、毎晩のんだくれている。僕も夕方アトリエでの仕事を終えると通っていたんです。
そこで、毎晩顔を合わせる絵描き仲間と同人誌をつくろうとしたことがあったんですよ。酒をのんでこの手の話をすると、何故かよく盛りあがるんですよね。なんだか、一人前に社会で活動をしているような気がしてわくわくする。酔っぱらってあれこれ案を出し合った。酔うと気が大きくなってね、全部英訳をつけて世界に発信しよう、なんてことを言いだす。名前もベタで良いんじゃない。「藝術」という名前にしよう、なんて盛りあがった。まったく、大胆。無責任。でも、だいたい翌日にはどうでもよくなっている。酒の肴話に終わってしまう。その頃、荻窪の古本屋で文学者や画家たちが一緒につくった活版刷りのかっこいい雑誌を見つけて、雑誌を作って芸術活動をすることに憧れていたせいもあります。

実際に画家仲間たちと同人誌を作るとなるとお金もかかるし、組織運営のためにめんどうなことも多い。集まってしばらくつづけているうちに、同人同士で作品が売れる人とか売れない人とかもでてくると、人間関係もややこしくなるのではとも思った。いくらさびしいからと酒をのんで芸術論など闘わしていても、そのうち単なる自己主張でケンカになるんじゃないかと思って。芸術なんて、どこまでがそうなのか。何がそうなのかってことになるとあやしいからね。
仲間たちと本を作りたいと思う一方で、尻ごみして二年くらい悩んでいたんですよ。心配症なんです。結局、一人。そんな時、小学校からの絵友達 田口順二と会い、いっきに実現していくことになりました。
あ、これね、山椒かけるとウマいんですよ。

牧野さんはこの店にはよく通っているらしく、運ばれてきためずらしい串焼きや焼酎セット(コップになみなみ注がれた焼酎と缶入りのウーロン茶)の飲み方を案内しながら話を進める。
この店は鰻の全ての部位が食べられる串焼き屋だと、壁に貼られたウナギの部位と、その呼び名が書かれている絵を指して教えてくれた。
画家 牧野伊三夫は堅く、怖い。お会いする前はそのようなイメージを抱いていたが、それは全くの杞憂だった。穏やかに、時折はにかみながら話すその姿はなんとも人間味あふれ、どちらかというと木訥な印象である。

「四月と十月」は創作過程で交流する本

—— 「四月と十月」のなかで「好きなように描く、感じたままに描く」というフレーズが多いように感じます。

牧野:そうですかね。気づきませんでした。一般的に同人雑誌は締切にあわせて掲載用の作品を作ると思うのですが、「四月と十月」はそうじゃないんです。展覧会などでの作品発表をするために、作家たちがアトリエでの日々の創作活動の過程を見せ合うのが目的なんですよ。
作品の最終形は展覧会等で公開され批評の対象となるわけですが、作家にとってはまず、そこに至るまでの過程とどう向き合っていくかという問題があります。自分自身が何をやろうとしているかを知るためには、仲間がいた方がいいと思うんです。
充実した展覧会をするための定期的な交流が目標というわけです。

—— 「画家のノート」とタイトル前にあるのはそのためですね。

牧野:共同作品集ではなく、みんなが作品づくりをするためのノート集なんです。つまり回覧板のようなものかな。絵描き町の回覧板。

—— デザインも極めてシンプルですね。

牧野:一般の雑誌のように誌面のなかで絵や写真、文章をいかに効果的に面白く見せるか、ということを「四月と十月」ではやっていません。ジャンルも異なるそれぞれの作品世界を、できるだけ自然な形で一冊の本にまとめるようにしています。

大槻:「四月と十月」というタイトルは、ちょっとせつない感じになるタイトルですよね。誌面のページとノートというコンセプトと、すごく合っていますよね。日常の切り取りという感じで。

牧野:せつないですか……。

いろいろな人がいた方がおもしろい

牧野:同人はどうやって集めているのかとよく聞かれますが、同人になるための試験も審査も何もないんですよ。そういう質問に答えるのはなんとなく照れくさいので、「いやなんか、そこら辺で出会ったから」なんて冗談で答えたりしています。でも、実際には画廊で作品を拝見して、ご本人と何度か会ったりして、この人とだったら一緒に同人雑誌を作ったり、意義ある創作活動の交流ができそうだ、と思った人をさそっています。そのときの作品の内容より、友達として仲良くやれるか、どうかの方が大切だと思ってます。まず人間。作品はその副産物。一緒に遊びたいんです。同人からの紹介もあります。

あ、松本さんだけは審査がありましたけれど。展覧会の資料とか作品集とかがなくて、昔、美術部にいたというだけでしたから。でも話をしていて、きっとこの人は面白い絵を描くに違いないと思ったんです。
同人誌というのは、もともと同じ思想を持った人たちが本をつくって、社会に何かを訴えようというものだと思うのですが、「四月と十月」には、そうしたものはありません。年齢も社会的な実績も関係なく、全学年がひとつの教室で勉強する、島の小学校のような感じで一緒にノートをつくれたら、と考えています。「四月と十月」はいわゆる美術団体ではないんです。

松本:僕、「四月と十月」の同人でいいんですかね。 僕、誌面を汚してないですか。

牧野:思いっきり汚してますよ(笑)。でもそれが良いんですよね。松本さんのような人、今までいなかったから。毎号、刺激的ですよ。だってほら、日本酒のラベルの絵を描いてほしいとたのまれたじゃないですか。すでに画伯です。

松本:アートなんて良くわかんないです。

牧野:僕だって、良くわかりませんよ。いや、良くわかんないものをアートと呼ぶ人もいるくらいですから。

成合:むずかしく考えがちですが、絵を始めるのに知識や経験はいらないと思います。70代、80代から始めても良いのではないでしょうか。

牧野:松本さん、そろそろ個展をやってください。

松本:牧野さんには死ぬまでやってもらわないと。

牧野:「四月と十月」なくなったら、俺死ぬからね(笑)。印刷のこと、これからもよろしくお願いします。小さい本で、お金にならなくて本当に申し訳ないですけれど。

牧野:そういえば、さっきの「ほんやら洞」の仲間とつくろうとしていた「藝術」という本の後の話しをね、もっとしたかったんだけど、別の話になっちゃった。まだ「四月と十月」の創刊までを充分話していないですよね。尻ごみしながらも、どうやって「四月と十月」を創刊してしまったのか、という話。
なんというか、僕にとっては新しい宇宙が生まれるかどうかっていうくらい、とても大事なところなんですけど・・・

そう言うと牧野さんは話の途中で切り上げ、「今から新井天神のお酉さまに行こう」と言い出した。気がつくとグラスは空になり、テーブルの食事も平らげていた。
牧野さんは早々に店を後にし、インタビューはここで打ち切りになってしまう。ついに話の核心へ迫ることができなかった。けれども気持ちはなんだかとても暖かい。
ではお酉さまに行きましょう。でもその後に、もう一軒行きましょうよ、牧野さん。

取材を終え、始発を待つ駅のホームで考えていた…。なぜ僕らは、松本は大槻は、この「四月と十月」が好きなのだろうか。
企業としての大洋印刷にとっては、旨みのない仕事だろう。小ロット。しかも1色だ。正直利益なんてない。
それでもやっぱり好きなんだ。それってやっぱり、「牧野伊三夫」を、そしてこの本に関わる人たちを好きってことなのだろうなあ。

写真:有吉淳

「四月と十月」
毎年二回、新学期の始まる四月と展覧会シーズンの十月に発行。
このタイトルは、同人にとっては原稿の締切日を忘れない、という効用もある。

1999年の創刊号 表紙は田口順二さん
松本がはじめて参加した20号
最新の23号は2010年10月に発行
2010年に女子美術大学での夏期特別講座
「女子美術大学に集まって、美術同人誌四月と十月の話をします。」を行ったときのポスター
AD. D. 内藤昇さん(株式会社ドラフト)
■ UVインクジェット
四月と十月の校正風景

写真:有吉淳

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